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治部(じぶ)の野望 〜のぼうの城〜
評価:
和田 竜
小学館
¥ 1,575
(2007-11-28)
JUGEMテーマ:読書

戦国時代後期、秀吉による小田原征伐における局地戦のひとつ
忍(おし)城攻囲戦(*1)を取り扱った小説です。

領民から"のぼう様"と呼ばれる成田長親(ながちか)という武将を主人公にしてますが、
この人大して有名な人ではないです。
戦国時代を取り扱ったゲームとして有名な「信長の野望」にすら登場していません。
成田家当主 成田氏長(*2)、長親の父 泰季(*3)あたりがなんとか北条家臣として登場してる程度。長親本人は相手にされていません。
作中でも輝かしい武辺もなければ、かといって切れ者の智者でもなく、
農作業を手伝いに行っては、領民から「何もしなくていい」といわれる役立たずとして"まずは"紹介されています。

そんな彼の住まう忍城にも、北条征伐の一環として秀吉の軍勢が迫ります。
成田家は北条に従属していたとはいうものの、既に秀吉に誼を通じて内応を確約していました。何事もなければ形だけの攻囲の後、降伏という路線だったにも関わらず
ある事件がきっかけで城代だった長親は篭城することを決します。
女子供も含めてその数3740人。

攻めるは秀吉の子飼い、石田治部少輔こと三成(*4)、そして大谷刑部(吉継)率いる23,000の軍勢。圧倒的な軍力で攻め上る総大将 三成には長年秘め続けていたある野望があった…。

23,000 VS 4,000弱(女子供含む)
能力90オーバー(*5)の智将、勇将コンビ VS 田舎侍。
のぼうは如何にしてこの圧倒的劣勢をひっくり返すのか?
といったところが導入部。

読感ですが、忍城攻囲戦をここまで魅力的に描けるのかという驚きが第一。
長親をはじめ筆頭家臣 正木丹波、柴崎和泉守、酒巻勒負、甲斐姫といったマイナー武将が石田、大谷といったメジャーどころを向こうに回しての立ち回りはテンポもよく爽快。
各々の個性も際立っていて、戦国マニアでなければ逆に「正木や酒巻ってすげーじゃん、今度信長の野望で成田家でプレイしてみよう」と思っても不思議でないです(ただし成田家プレイは不可能です、今のところ)。
とはいえ真骨頂はやはり「のぼう」です。
冒頭で「あんな」描かれ方をしたのぼうですが、彼の茫洋さは時として底知れぬ深遠さを垣間見せ、あるいは領民の心を尊敬や畏怖とは違った形でがっちりと掴むなど、要所要所で不思議な輝きを放ちます。読了後も彼の真意はわからずじまい…。

歴史に詳しくなくても、適度なタイミングで解説やエピソードが導入され、しかもそれがくどくない。
歴史小説導入としてもオススメ致します。

(*1)
1590年。秀吉の命を受けた石田三成が成田家居城である忍城を攻めた戦。三成は石田堤という堤防を築き、忍城を水攻めにするが、結局堤防は決壊し攻囲に失敗する。歴史的に見れば単なる1局地戦に過ぎないのだが、忍城は小田原征伐において唯一陥落しなかった城(小田原落城後に開城)として戦国史に名を残す。
もう一つ、三成はこの敗北により、"戦下手"と評価され、10年後の関ヶ原における敗退の遠因になったともされる(総大将の戦の器量が悪けりゃ味方するのも気が引ける、という話)。ただし関ヶ原で三成側についた武将には、この忍城攻囲戦に参加した大谷吉継、佐竹義宣、真田昌幸といった面々がいるので、一概に忍城での敗北が三成の戦術能力欠如を示すものではない…と思う。

(*2)
統率 69 武勇 60 知略 67 政治 63 (by 信長の野望 革新)
意外に能力高め。多分忍城攻囲戦の評価だと思うけど、彼自身は小田原城に参陣していたため篭城には参加していない。

(*3)
統率 23 武勇 26 知略 40 政治 52 (by 信長の野望 革新)
作中では当主 氏長より能力高めな気がする。なお作中の長親は多分これ以下。
でも謎のパラメータが90くらいを叩き出していそう。野望は多分0。

(*4)
個人的には、三成の性格づけがよかったと思ってる。
プライドが高く、自分にも他人にも厳しい、冷徹な男といったところが一般的な三成像だが、ここに野望(ある意味子供じみた)というエッセンスを加えることでまた一味違う三成を示している。でもちゃんと三成は三成として認識できている。これがすごい。

(*5)
石田三成 統率 52 武勇 20 知略 85 政治 99(第7位) (by 信長の野望 革新)
大谷吉継 統率 90 武勇 78 知略 91 政治 89 (by 信長の野望 革新)
佐竹義宣 統率 86 武勇 84 知略 66 政治 80 (by 信長の野望 革新)
真田昌幸 統率 97(第8位) 武勇 76 知略 98 政治 91 (by 信長の野望 革新)
こういった面々が率いてて、兵力差が10:1。城攻めには3倍の兵力が必要とはいえ普通にやったら負ける要素が見当たらない。小説はゲームより奇なり(笑)。
| いふ | 歴史あれこれ | 00:47 | comments(0) | trackbacks(2) | -
篤姫、薩摩の大地に立つ
2008年度NHK大河ドラマ「篤姫」、始まりました。
初回だったので、篤姫こと於一の出番はわずか。時代背景や親世代の紹介が主です。

12歳の於一を宮崎あおいが演じるのは微妙に無茶な気もしましたけど、幼少期をわずか30分ですっとばし、初回から宮崎を出演させてく方針は個人的に好きです。幼少の頃の体験が後の人格形成の一端を成すこともあるので、わりかし丁寧に描くところもありますが、さっさと主役を登場させて視聴率稼がないとね(幕末を扱った大河は視聴率は思わしくない。殺伐としてるし、思想対立が複雑だから分かりにくいのもあると思う)。

男装した於一をわざわざ出す必要なかったのでは。男勝りっぷりを表現する/小松帯刀に彼女の存在をより印象的に感じさせる、為なんだろうけど、なんか強引です。一方の小松帯刀、情けなさすぎです。将来の大化けを期待します。

今回の大河、実は島津斉彬の描き方に注目してます。

彼はいち早く西欧の文化を取りいれ薩摩藩の富国を推し進め、西郷や大久保といった幕末維新の立役者を見出しました。維新で薩摩藩が主導的役割を演じる礎といっても過言ではありません。ドラマの前半は彼が重要なフィクサーとなるでしょう。幕末の動乱前に死去してしまう人物のため、今までクローズアップされたことがないので、是非彼の生涯についても描き込んでもらいたいです、ハイ。

…とちょっと期待感込めて書いてますが、実はドラマ全体については、家庭ドラマの要素を取り入れるとプロデューサーがのたまっている以上あんまり期待はしていません。初回しか観てないので意見変わるかもしれないけど。斉彬没までに、何か動向がないと今年は終わっちゃうかも。
JUGEMテーマ:日記・一般
| いふ | 歴史あれこれ | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) | -
陳到 -三国志武将列伝 2 -
三国志武将列伝第2回です。
1回目は孔明さんに楯突いたために後世の評価で不遇な目にあってる魏延氏を取り上げましたが、今回は魏延と同じく蜀漢(というより劉備だな)の武将、陳到を取り上げます。

姓は陳、名は到、字は叔至。
この人
陳到の武功・名声は趙雲に亜(つ)いだ
とされています。
あの趙雲と並び賞される名将です。
…が、知名度は高くありません。
というかはっきりいってかなりの三国志通でないと聞き覚えのない人物です。
なぜなら

彼は三国志演義には登場していないから。

最近でこそ北方三国志、蒼天航路など正史ベースの作品が出てきましたが、それでもやはり日本人の思い浮かべる三国志は正史ではなく、演義です。
登場機会のある正史でも
1.劉備がまだ確固たる基盤のない根無し草だった豫州時代から仕えていた古参の臣下
2.劉備即位時に、"永安都督・征西将軍の官位に登り、亭侯に封じられた"という記述
3.蜀将李厳伝:"孔明が漢中へ出陣する際に留守役の李厳の配下として護軍の陳到を永安に駐留させた"という記述
くらいの情報量しかありません。
劉備放浪期から苦楽を供にしてきているわけだから当然信任も厚く、都督に任じられるくらいですから能力は高い、と想像できるのですが、いかんせん実績が残されていません(無難に務めあげた、と見ることも出来ますがやはり華がないとねぇ)。李厳の配下って扱いだし…。

また趙雲と並び賞されてはいましたが、「名声・官位ともにつねに趙雲の次にあり」とどうしても趙雲に一歩先んじられている感をぬぐいきれません。で更に、趙雲ファンには怒られるかもしれませんが、その趙雲自身も官位は大して高くないんです(*2)。
KOEIの三国志でも最近(といっても4,5年前だけど)やっと登場と相成りましたが、能力的には趙雲の2歩も3歩も後ろにつけています。まぁそれでも十分前線で戦える能力なんですけどね。
蜀の武将は関張馬黄趙&孔明がきらびやかに突出しすぎているため、その次に来る人材の扱いがちょっと…な感じがしますね。前回の魏延しかり、陳到しかり、法正(*3)しかり…。
実際、この文でも「陳到」よりも「趙雲」って単語の登場回数の方が圧倒的に多いです(さらにあえて趙雲を太字にしてみました)。
未だ埋もれている陳到の業績が見つかることは…ないんだろうなぁ。
まけるな、陳到。がんばれ、陳到。

(*1)作家 田中芳樹は陳到のファンだそうだ。これだけ情報量の少ない人物だと小説では縦横無尽に描けるからか?
(*2)劉備の親衛隊長みたいな感じでそりゃ偉いんですが、関羽、張飛、馬超、黄忠の4人から見ると二段くらい下の官位です。彼は方面軍を任されたことはなく常に劉備の傍らにありました。それだけ彼への信頼があり、忠実な臣下だったということです。武勇の誉れは高かったので武人としては最高峰の賞賛を得ていたと思います。…そう考えると今回の陳到が不遇というより、趙雲が厚遇されてただけなのか?…いやいやでもそうするとここまで書いた私の労力が(笑)
(*3)姓は法、名は正、字は孝直。蜀漢の謀臣で軍師。漢中争奪戦で劉備が夏候淵を敗ることが出来たのはぶっちゃけ彼の立案した策による(黄忠が首とったとの記述もあるけど、戦略面では法正が全てを握ってた)。彼の死後、蜀はぱったりと勝てなくなる。彼も取り扱い不遇な人物なのでじきに書くでしょう。
| いふ | 歴史あれこれ | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) | -
魏延 -三国志武将列伝 1 -
蒼天航路も完結しちゃったんですが、逆に1巻から読み返して時を過ごしてます。
ついでに手元にある北方や陳舜臣の三国志も読んでみたり。
で、何人かの武将について書いてみます。

1回目は蜀漢の武将 魏延。
蜀の名将といえば、五虎大将軍(*1)関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠が有名ですが、
その次にあげられるのが彼、魏延じゃないでしょうか。
微妙にメジャーな武将です。
演義では主人公孔明を引き立てるためにかなり損な役回りをしてます。
吉川三国志(*2)、横山三国志(*3)が日本人の三国志感のベースにあるんで(最近では
色々出てきてるけど)、どうも魏延は好漢としてみられてない。
演義の中の魏延イメージダウンに繋がる記述:
・劉備陣営に投降する際、反骨の相があると孔明に釘を刺される。(孔明死後の乱の伏線)
・劉備死後、魏延の驕慢な態度を見て、孔明は敵と一緒に葬ろうと画策。でも生き延びる。
・五丈原(*4)で延命の祈祷を行う孔明の陣を訪れた際、燭台を倒して延命失敗。
・孔明死後、楊儀と対立。孔明の遺した策により最終的には馬岱に斬られる

孔明をイメージアップするために存在する点では周瑜(*5)と並ぶツートップ。
でも実際のところはどうか?というと、
関羽、張飛らに負けるとも劣らない功績を挙げています。

漢中という蜀と魏の間にある軍事的に重要な地域がありますが、
そこを魏から奪取したあと、そこの太守に魏延が抜擢されています。
大方の予想は張飛があたるのでは、と思われてたらしくこの人事には蜀関係者も驚いたみたい。
軍事だけではなく政治権限までも与えられてた所から、為政者としての能力も持っていたようです。

五虎将軍は蜀建国から数年で趙雲残して皆死んでしまいます。
その後の蜀を支えた武の中心は、趙雲とそして魏延です。
孔明のもと魏と戦う馬岱、王平、馬謖といった将より数段上の位にいます。
漢中を維持し続けたのは魏延の尽力によるところが大きい。

また北伐を開始し孔明が漢中駐屯となると涼州刺史にまでなってます。

ほらみろ、魏延は結構すごい人物なんだよ。

多少戦略面で孔明と対立することはあったとしても蜀将としての責務を全うしてました。
でも驕慢な性格はどうもその通りだったようで、特に文官との諍いは多かった模様です。
ただ本人が叩き上げの武将であるために、デスクワーク派とは相容れない部分があるのでしょう。
戦時中とはいえ、国が大きくなるとどうしても官僚体質の人材が必要とされ、国の中核を担っていくのは世の常です。
本拠と前線の距離が離れれば離れるほど、前線を任された武断派と本拠にいるトップとの間に
官僚陣営が介在せざるを得ず、その結果往々にして互いの利害の相違により軋轢も生じさせてます。
まだ孔明存命時は事実上は彼の独裁政権であった&
孔明自身も北伐推進派だったため魏延にとっても生きやすい時代でした。
が、孔明が没すると状況は変わり始めます。

既に孔明存命時は軍事面で押しも押されぬ筆頭ですから蜀建国の功労者である自分が孔明亡き後の蜀を率いるという自負に燃えちゃいました
同じことを考えてる人間がもう一人いました。長史の楊儀です。長史というのは丞相府の属官で諸役人を統括する立場にあります。
つまり官僚派の人物。

こうして武断派と官僚派の権力抗争が勃発します。
でも孔明は後継を蒋エン(王宛)に決めてました。更にその次まで。
そう考えると結構まぬけで笑えます、2人とも。
結局、楊儀の策が一足早かったため魏延は反乱者として討伐されてしまいます。
(勝者 楊儀も栄達することなく死去してます)
彼は、劉備しかり孔明しかり誰か強力な権限を持つ者の下でこそ能力を発揮できた人物かもしれません。
自らの足で立つには、バランス感覚というか調整能力が足りなかったと思っています。
もう少し早く三国志に登場していれば、のびのびと敵と戦い、華々しく戦場で散れたのかもと思うと
味方の刃(演義では孔明の策を得た馬岱の刃)に倒れた魏延に哀惜を感じえません。
個人的には戦国時代の加藤清正や福島正則がだぶるんですよね。


(*1) 史実にはない。蜀書「関張馬黄趙伝」でまとめられてる所が元になってる。
位は関羽(前将軍)、黄忠(後将軍)、馬超(左将軍)、張飛(右将軍)、趙雲(翊軍将軍)で
実は趙雲は他の4人に比べて2つほど官位が低い。
ちなみにこの5人が一同に揃ったことは一度も無い。
(*2) 超有名な三国志小説。吉川英治著。
(*3) 超有名な三国志マンガ。横山光輝著。
この2作が良くも悪くも日本人の三国志感を形成したといっても多分過言じゃない。
劉備と孔明が主人公ではあるものの、敵役の曹操をここまで魅力的に書き(描き)込んでる所が非常に評価される。
(*4) 札幌にある有名なラーメン店…じゃなかった、孔明最期の地。
(*5) 孫策-孫権に仕えた名将。都督として軍を指揮、赤壁にて曹操をぶちやぶる。三国鼎立を実現させちゃった偉大な人。
でも演義だと孔明の才能に嫉妬しちゃうちょっと狭量な人物になっちゃう。
| いふ | 歴史あれこれ | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) | -
検証:新撰組 第2回 総長 山南敬介さんは何故死んだか
一応、芹沢鴨の回で予告していたので
山南さん切腹について触れます。
相変わらず長いです、お覚悟。

ドラマじゃ、隊では伊東ら新規加入組の台頭により
居場所を失い、思想的には元北辰一刀流同門であった坂本と
交流することで自分の進むべき道をもう一度考え直したくて脱走…
って形にしてます、表向き。
でも本当は切腹の際に土方に言ってたように
総長の自分ですら法度を破れば切腹、
この厳罰を持って新撰組の結束を磐石にさせる、
為に脱走の道を選んだんでしょうね。
道を考え直す、というのはあくまで方便で
自分が設立から携わってきた新撰組のために
最後に何が出来るか?と考えた上での行動かと。
これがドラマでの山南さんの姿勢。
(個人的にはもう少しドロドロしてもらいたかった。
新見錦が切腹するときの
「気をつけな、山南。待ってるぜ」というセリフは、
隊を守る為なら、山南すら罠にはめて除外しようとする
土方を描くための伏線だと思ってた。
最後のシーンで近藤と共に泣いてるのは
ドラマ的にはいいけど、ちょっと残念
)


で、私の知る限りで語る実際の話は、というと。
近藤、土方ラインの結束は芹沢一派粛清後いよいよ強まり、
山南は副長のち総長の地位にありながら疎んじられていきます。
もともと強烈な尊王派であった彼が、
池田屋事件以降、左幕色を強める新撰組(っつうか近藤と土方)と
対立を深めていかない方が不思議であって、
まあこの辺は当然の帰結のように思えます。
更に近藤は、土方、沖田総司、井上源三郎といった
士衛館の生え抜き(というよりは、同じ多摩出身の同族)を
本当の腹心と捉えていたようで、
山南はじめ藤堂、原田、永倉は初期からの仲間であり、
その能力、人物を信用していたものの
一番深いところで一線を引いていたのかなと思います。
そのような環境下で少しずつ隊での居場所を失っていった山南は、
新規加入の伊東甲子太郎と出会い彼の思想に敬服します。
(この辺ドラマでは取り上げてないです。
伊東くんは幕末当時非常に評判のよい人物でして、
だからこそ入隊するや参謀という地位につけたんです。
だけど彼は最終的に隊を裏切るので、ドラマ内では登場当初から
知識人だけど曲者っぽい野心家で、
むしろ山南くんの地位を脅かす存在として描かれてますね
)
主義主張のあう伊東との関係を深めれば深めるほど、
近藤、土方との確執は深まっていき、
遂には脱走…となるわけですが
この「脱走」自体ほんとにあったのか、今でも疑わしいです。
これは切腹についても同じで、永倉も晩年に書いた顛末記では
触れてるけど、明治初期に書いた自伝では山南の死すら書いていません。
また事件当時でいうと沖田の手紙には
「山南兄、死」の文字がありますが、
近藤らの手紙には永倉と同じく山南の死について触れてません。
芹沢粛清、油小路に並ぶ大幹部の処断という割には、
新撰組関係者の言が非常に少なく、
意識的に隠蔽されてるといってもいいです。
また隊を脱したものは切腹、という山南を
死に至らしめた局中法度も山南脱走時点では
成立してたかどうかもはっきりしてません。
つまり現在定説のように語られている
脱走&法度を破って切腹は真実かどうかかなり疑わしいのです。

ただその死の理由については諸説あるのですが、
1. 西本願寺への局移転について
2. 近藤との思想対立
3.土方重用に対する諫死
4. 脱走による局中法度無視
どれも近藤と激しい対立があった可能性を示しています。

そういうわけで、脱走があったかはともかく
組織内部でのトップの対立・確執が
山南を死に追いやった原因であることは間違いないでしょう。
特に近藤。
この件に関しては割と鬼の土方は影薄いなぁと思ってます。


涙を飲んで総司に追手を命じた
(極端なのだとドラマのように暗に逃げろとほのめかす)、
隊の規律を守る為泣く泣く切腹を申し付ける、など
山南助命の心情が垣間見える史書が残る一方、
これで処罰できると笑って追手を送り出した、って説も
あるくらい謎の多い事件です。
だからこそ小説家には格好の題材になるのかと。
こうして史実(誰も正解はしりませんが。今のところ)以上に
絶妙な解釈からトンデモ解釈まで、
後世の我々は幕末の一事件に思いを馳せるのです。

最後に。
堺雅人さん、お疲れ様でした。
貴方の演じた山南により、私の山南観は大きく揺るがされました。
特に急いでいるときの腿の上に手を置いた歩き方。
私はあの姿勢こそが山南をもっともよく表してると思ってます。
理由を語るには語彙が足りませんけど。

多分また書きます。
次回は油小路事件
| いふ | 歴史あれこれ | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) | -
検証:新撰組 第1回 大河「新撰組!」の本当の主役って。
こんばんわ。
相変わらず歴史シリーズになると長文ですm(_ _)m。
もう筆が(あ、キーボードか)とまりません。
ではさっそく。


現在NHKで放送中の新撰組。
物語は佐藤浩市演じる芹沢一派粛清になだれこんできます。
以前はどっしり構えた悪人風な芹沢さんも、
存在感が希薄になってきて酒に溺れ、情緒不安定になり、
商家に押し入って強引な金策したり、焼き討ちしたり問題を起こし始めます。
これら芹沢の行動が、市中の悪評を呼び、それに不快感を示した会津藩から
近藤に芹沢を取り除くようにお達しが来た、とされています。
そういった表向きの理由以上に、
私は近藤一派が積極的に芹沢排斥に関与(画策)していた、と考えています。
以下その理由です。

新撰組(当時は壬生浪士組と誠忠浪士組の二つの呼び名でしたが)の
筆頭局長芹沢と近藤の間には思想の対立がありました。
もともと水戸出身の芹沢は尊攘激派であり、朝廷(天皇)を第一と考え
これに忠節を尽くし、一方の天領(徳川領地)の農民層出身の近藤は
尊王はあくまで前提であり、幕府に対して忠誠を誓っています
(ただし水戸藩は長州、薩摩とは異なり倒幕ではなく、
尊王敬慕ですんで思想的に相反するものではなかった思います。
幕府第一と考えるか、否かの違いですね。)。
ともあれこの対立により、隊内で二派に割れ、
新撰組という組織そのものが弱体化していく状況に陥りつつありました。

上で述べた会津藩ですけど、ここは武士道を非常に重んじていた藩風でして、
乱暴狼藉を嫌悪する空気も強かったようです。
芹沢を嫌ってくれれば、もう一方の近藤派の勢力が増すことになるので
(思想面からも、京都守護職を仰せつかった会津藩は幕府第一の考えが強い、
っていうかそれのみ。なので心情的にも近藤を重く用いやすい状況にはあった)、
それはそれでいいことなのですが、
芹沢があまりにやりすぎた場合、母体の新撰組そのものへの援助も
切り捨てられてしまう可能性が出てきます。
パトロンを失うことを近藤一派は恐れていたと思われます。

以上の点により、新撰組の存続問題、強力な隊内支配体制確立のため、
近藤が会津藩の意向をくむといった形で芹沢派排斥を画策した、
というのが自然な流れかと。
一方の会津藩も水戸藩、特に過激な水戸激派(本国寺党)との
繋がりを持つ芹沢を筆頭に置くより近藤を頂点にすえた方が利がある
と考えてたと思います。

そうして文久3年9月13日の新見錦(*1)の切腹に始まり、
文久3年9月18日の芹沢暗殺までの5日間で、近藤は政敵芹沢の排斥に成功し、
2軸体制から近藤(というか土方)主導の体制へと切り替わっていくわけです。


…と、NHKの新撰組、
あまりに近藤をいい人に書きすぎてるんで反発してみました。
誠実な人であり、人物であったのは確かでしょう
(じゃなきゃ隊員もついてきやしないし)。
でも人である以上ダーティな面、負の面もあったはずです
(まあ上記の方針を画策したのは劇中同様、土方メインだと思ってます。
ただ近藤も積極的に関与してたと思いますが)。
でもそこら辺は主役の悲しさかな、
いい人でなくてはいけないんでしょうね。
大河の主役は大体そう。
まあこれから近藤が大きく変わっていくのかもしれませんが。

だからこそ私は、近藤の暗部を率先して引き受ける土方の
描き方が非常にうまいと思っています(三谷さん素晴らしい!)。
自分の敵と味方をはっきりと見極め、
使えるものは敵でも何でも使い、
自分たちの力を蓄え、組織を強く太く育てていく。

作品中で一番強い意志を示しているのは彼です。

今後、近藤は、隊を率い、長州や薩摩志士と戦いますが、
土方は芹沢以後、山南、伊東…と隊内の政敵
(山南さんはちょっと違うかな)と戦っていくことになります。
その重く苦しい役を担う彼、土方歳三こそ、
「新撰組!」の本当の主役かなと考えてる次第です。

ですんで、表向きは芹沢VS近藤という図式だけど、
本質的には芹沢VS土方なんですよ、この場合(特にドラマでは)。



このテーマで、もう数回書きます。
次回は多分、山南さん切腹について。
| いふ | 歴史あれこれ | 23:51 | comments(3) | trackbacks(0) | -
検証:TROY 今回はちょっと短めの長文(意味不明)
先日TROY観てきました。

それに触発されてTROYに関する薀蓄を少し。
映画の内容にも少し触れるんで
これから観ようって言う人は、鑑賞後ご覧ください。


トロイ戦争とトロイ遺跡:
原作はイリアスって叙事詩です。作者はホメロスさん。
オデュッセイア(*1)と並ぶギリシャ最大の物語。
全24巻だそうだ。
で、これはあくまでフィクションであって
ゼウスやらアポロンやらといったギリシャ神話の神々が
多数出演してはります。
彼らは人間の戦争に介入し、神々の思惑のままに
戦争は混迷を極め、さまざまな人間の悲劇が
産まれることとなりました。
神々はそれぞれ色々理由をつけてるけど、
結局は自分らの欲求を満たすために人間を手駒にして
ゲームに興じて(戦争に介入して)ます。
このあたりのプロットって中国の古典、封神演義も同じ形を取ってるなぁ。

まあそういうわけで、[イリアス]ってな完全にフィクションです。
19世紀までの世の人々も「神話」として受け取ってました。

でもその神話に触発されて実際に発掘始めちゃった人がいました。
ドイツの実業家ハインリヒ=シュリーマンがその人。
で、ほんとにトルコで遺跡を発見してトロイの実在を証明しました。
トロイ、ミュケナイ文明の発掘者と呼ばれてます、彼。
(このトロイ遺跡が[イリアス]のトロイではない
っていう反論もあるようですが、個人的にはほっといてます)
なお映画[TROY]では、監督の意向なのか神々の話は
ばっさり切り捨てられてます。
まあ「人間」を描くなら当然だわな。
あと映画では戦争期間は1ヶ月ほどだったけど、
イリアス上では実に10年も戦い続けてますね。

アキレス腱:
アキレス腱ってのは、どんなに強い人間にも弱点がある
って例えに使われるけど、この語源はトロイ戦争の主役アキレスから来てます。
割と有名ですね。
アキレスは戦場に出りゃ万夫不当の働きをみせ、
一騎討ちは無敗(実は引き分けもある)の強戦士。
なぜここまで無敵かっていうと、
アキレスの母ちゃんがアキレスを浸かれば不死の体になる
っていう冥府のステュクス川に入れたため。
(他の戦士もここ入ればいいじゃんって突っ込みはなし)
でもアキレス腱だけ浸しもれてて、そこを射抜かれて死んじゃいます。
北欧神話の不死身の英雄ジークフリードも
似たような弱点(彼は背中)があったけど、
だからといって人の弱点を
ジークフリードの背中」とは言わない。
よかったね、アキレス。

スパルタ:
ギリシャの強国家スパルタは、とにかくものすごく厳格な
軍事訓練をすることで有名でした。
子供の頃から軍事訓練を受け、全市民が兵士っつうとてつもない
都市国家でして、その軍事力をもってギリシャの覇権を握ってます。
その教育方法(訓練)の厳しさから、
厳格な教育方針のことをスパルタ教育と呼んでます。
このスパルタ、映画にも出てきてるけど、
実際にはトロイ戦争より100年ぐらい後に成立してます。

トロイの木馬:
あまりにも有名(特にIT業界では)なんで、割愛。
考案者はオデュッセウス。

アイネイアス:
映画の最後で、トロイの剣を受け取って一族連れて逃げた人。
この人は後にイタリアに渡って、ローマ建国の祖となります。



ふぅ。いつもの歴史シリーズよりだいぶ短く収まった。
よかった、よかった。
| いふ | 歴史あれこれ | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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